「中年 独身 出世 諦め」。
このキーワードで検索する夜の気持ちは、想像がつく。同期が課長になったってLINEを見た直後か、年下の上司に評価面談で「もう少し主体性を」と言われた帰りの電車か。あるいは何の出来事もない、ただの日曜の夜だ。
何の出来事もない夜に検索してしまう。それがいちばん効く。何かに殴られたわけじゃないのに、気がつくと検索窓に「出世 諦め」と打ち込んでる。そういう日のほうが、たぶん深いところで何かが諦められようとしてる。
俺は30代の半ばで出世を完全に降りた。SVの打診を一度だけ受けて断った。それから一度も昇進していない。後輩がSVになり、その後輩のさらに後輩がSV候補になっていく中で、俺はずっとオペレーターのままだ。
それで損したか。たぶん、していない。むしろ得したと思ってる。今日はその話を書く。
- 中年・独身で出世できない自分を、どこかで「負け」だと感じている
- 出世コースから外れたことを、誰にも肯定してもらえずに孤独を感じている
- 出世を諦めた後、何をモチベーションに働けばいいのかわからない
「出世しない=負け」という価値観は、誰のためのものか
まず整理しておきたいのは、「出世しない=負け」って価値観が、そもそも誰のために作られたものかってことだ。
この価値観は戦後の高度経済成長期に作られた。妻と子供を養うために、男が会社で出世して年収を上げていく。それが家族全体の幸福に直結する時代だった。出世=家族の生活水準向上。だから出世しない男は「家族を養えない男」として見下された。
だがここで一度立ち止まりたい。俺たち独身に、養うべき家族はいるか?
いない。
つまり出世しないことで困る家族がいない俺たちにとって、「出世しない=負け」っていう価値観は、そもそも適用範囲外なんだ。それは家族持ちのルールであって、俺たちのゲームじゃない。
にもかかわらず、俺たちは無意識にそのルールで自分を採点してる。同期が課長になったと聞いて、なんとなく落ち込む。その落ち込みの正体は、自分のものじゃないルールで自分を評価してるからだ。借り物のルールで負けを宣告されて、勝手に傷ついてる。冷静に考えると、けっこう間抜けな話だ。俺もずっと間抜けをやってきた側だから、人のことは言えない。
出世のコストを、まず数字で見る
「出世しないと年収が上がらない」というのは事実だ。だが「出世すると年収が上がる」の中身を、ちゃんと分解したことがあるか。
俺の業界で言うと、平オペレーターからSV(係長相当)に上がると、月収はだいたい2〜3万円増える。年間で30〜40万円。これだけ聞くと魅力的に見える。
だがそこには書かれていない隠れたコストがある。
ひとつ、残業代がつかなくなる。SVは管理職扱いになり、いくら残業しても残業代ゼロ。平の頃に月3万円ついていた残業代が消える。差し引きすると、年収はほぼ変わらないか、下手すると下がる。
ふたつ、責任とストレスが指数関数的に増える。クレーマー対応の最終窓口、部下のシフト調整、人事評価、本部への報告書作成。仕事の総量は1.5倍以上になる。俺の元上司はこれが原因で休職してる。
みっつ、メンタル不調と長期離脱のリスクが上がる。実際、俺の周りでSVになって2年以内にメンタル不調で離脱した人間は、知ってる限り3人いる。年収40万増のために健康を失うリスクが跳ね上がる。割に合うとは到底思えない。
これを冷静に計算すると、出世はROI(投資対効果)の悪い投資だってことが見えてくる。家族を養う必要のない独身男にとっては、特にそうだ。家族持ちなら年収40万増には意味がある。子供の進学費用に直結するからだ。だが独身の俺たちには、その40万増を必要とする差し迫った理由がない。
「出世を降りる」という、積極的な選択
ここで価値観を逆転させたい。
俺たち独身中年にとって、出世を諦めるってのは敗北ですらない。それは「割に合わない投資を回避する、極めて合理的な損切り」だ。
損切りは株式投資の世界では美徳とされる。だがなぜか仕事の話になると「諦める=負け」と見なされる。これはおかしい。割に合わない投資から撤退するのは、どの世界でも賢い判断だ。
そして出世を降りると、思いがけないメリットが手に入る。
ひとつめは「自分の時間が戻ってくる」こと。出世コースに乗ろうとして残業を引き受けたり、休日に資格勉強したり、上司の飲み会に付き合ったりする必要がなくなる。平日の夜は自分のもの。休日は完全に自分のもの。これは独身男にとって、何にも代えがたい資産だ。
ふたつめは「人間関係のストレスから解放される」こと。出世競争から降りた人間は、社内政治のターゲットにならない。誰かを蹴落とす必要がないし、誰かに蹴落とされる心配もない。空気のように存在できる。これが信じられないほど楽だ。
みっつめは「精神の摩耗が止まる」こと。出世を狙ってる間は、評価面談のたびに自尊心が削られる。「もう少し頑張れば」「あと一歩」みたいな言葉に、どこかで期待してしまう。降りた瞬間、評価面談はただの儀式になる。「はい、すみません」で受け流せる。これが精神衛生に与える効果は、想像以上にデカい。
降りた後、何を持って生きるか
ただし出世を降りるだけだと、ただの抜け殻になる。そこに別の柱を立てる必要がある。
俺の場合、その柱は「自分の生活の精度を上げること」になった。料理、掃除、読書、睡眠の質、健康管理。仕事で評価されることを諦めた代わりに、自分の生活そのものを丁寧に作る方向に振った。
仕事は手取り22万を確保するための手段と割り切り、生活のほうに本気を出す。掃除をすれば部屋がきれいになる。料理をすれば飯がうまい。本を読めば頭が整う。これらは出世と違って、努力と結果が直線的に結びつく。会社の評価より、よほど誠実な営みだ。
出世に振り回されない精神を作るための、骨太な実用書
『心穏やかに生きる哲学 ストア派に学ぶストレスフルな時代を生きる考え方』ブリジッド・ディレイニー
仕事に投下していたエネルギーを、自分の生活に向け直す。それだけで人生の手触りが変わる。派手な変化じゃない。だが確かに、夜の眠りが深くなる。
俺たちにとって、それはどういう意味を持つのか
「中年 独身 出世 諦め」と検索したあなたに、最後に伝えたいことはひとつだ。
出世を諦めるのは、人生を諦めることじゃない。
それは「自分の人生のリソースを、自分の手に取り戻す行為」だ。会社に差し出していた時間と精神を、自分の生活に振り向け直す。家族を養う必要のない独身だからこそ、できる選択だ。
世間は出世コースから降りた中年を「窓際」と呼ぶ。だが窓際は悪い場所じゃない。窓際には光が差すし、外の景色が見える。出世競争のど真ん中で消耗してる人間より、よっぽど呼吸がしやすい場所だ。
同期が課長になっても、後輩がSVになっても、もう動揺しなくていい。彼らは彼らのゲームを戦ってる。俺たちは俺たちのゲームを戦ってる。ルールが違うんだから、勝ち負けも比較できない。
明日もまた、同じ平社員のまま会社に行く。それは敗北じゃない。それは自分のゲームのルールを、自分で決めた人間だけが取れる、静かで地味な勝ち方だ。
まあ、仕方ない。今日もオペレーターをやりに行くか。それでいい。
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