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「弱者男性向けコミュニティ」に、俺たちが安易に飛び込んではいけない理由

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弱者男性」という言葉が、ネットに定着して久しい。 最初に見た時は、正直、嫌な言葉だと思った。自分のことを「弱者」と名乗ることに、何かを諦めた響きを感じたからだ。だが38歳になった今、あの言葉が指してる現実そのものは、たぶん間違ってない。

低年収、独身、社会的な居場所の薄さ。データを見れば、俺たちはマイノリティでも何でもなく、ただ静かに数を増やしてる層だ。 そして近年、その層が集まる「コミュニティ」がネット上に増えてきた。Twitterのアカウント群、Discordのサーバー、匿名掲示板のスレッド、有料オンラインサロン。

同じ境遇の戦友がどこかにいる、という感覚は、確かに救いになる。 だが、本当にそうか。俺は半年ほど、いくつかのコミュニティを観察した。その経験から、安易に飛び込むのは危険だ、というのが今の結論だ。これを淡々と記録しておきたい。

この記事で解決できる悩み
  • 「弱者男性コミュニティ」に興味はあるが、参加すべきか迷ってる人へ
  • 同じ境遇の人と繋がりたいが、消耗するのは避けたい人へ
  • コミュニティに依存せず、それでも孤独を和らげる方法を探してる人へ
目次

「弱者男性コミュニティ」が存在すること自体は、悪いことじゃない

まず誤解されないように書いておく。俺は「弱者男性コミュニティ」の存在自体を否定するつもりはない。 社会から見えづらい層が、自分たちの言葉で語り合える場所を持つこと。これ自体はたぶん、必要なことだ。20年前、俺たちみたいな層には孤独を共有する場すらなかった。

「独身で低年収で実家にも頼れない男」が、自分の状況を率直に言える場所は、どこにもなかった。 その点で、ネットの匿名コミュニティが果たしてる役割は、確かにある。「自分だけじゃなかった」と知ることは、それだけで精神の応急処置になるこれは認める。 問題はその先だ。応急処置として使うのはいい。だが、そこに住み着くのはマズい。理由はこれから書く。

コミュニティが「毒」に変わる、3つの瞬間

俺がコミュニティを観察してて、危険だと感じた瞬間が三つある。

一つ目は「不幸の競い合い」が始まった時。最初は「俺も独身でつらい」「分かる、俺も」という共感だった会話が、いつの間にか「俺のほうがもっとつらい」「いやお前はマシだ、俺なんて」という競争に変わる。これに巻き込まれると、自分の不幸を確認することがコミュニティでの居場所を確保する手段になる。これは確実に精神を腐らせる。

二つ目は「外部への憎悪」が燃料になり始めた時。女性、リア充、勝ち組、政治家、特定の世代。誰かを敵に設定して、その敵を叩くことで結束が強まる構造になってる場合、そのコミュニティは長期的に毒だ。最初は冗談だった愚痴が、いつの間にか本気の憎悪に育っていく。他人を恨むエネルギーは、自分の生存戦略には1ミリも貢献しない。これは断言できる。

三つ目は「思考が単一化」した時。同じ境遇の人間ばかりで集まると、当然、価値観も似てくる。「努力しても無駄」「社会は変わらない」「俺たちはもう詰んでる」。こういう諦観が前提として共有され、それに異論を唱えると居場所を失う。自分の頭で考えることをやめた瞬間、コミュニティは宗教に変わる

コミュニティを「使う」のはいい。「依存する」のはマズい

じゃあ完全に距離を取れ、と言いたいわけじゃない。コミュニティとの正しい付き合い方は、たぶん次の通りだ。

情報源として「使う」のはアリ

同じ境遇の人間がどんな節約をしてるか、どんな保険に入ってるか、どんな副業をやってるか。実用的な情報は、確かにコミュニティのほうが集まりやすい。匿名だからこそ、リアルな数字が出てくることもある。これは利用していい。

愚痴の置き場として「たまに使う」のもアリ

リアルでは言えない本音を、年に数回、匿名で吐き出す。これも応急処置として機能する。ただし頻度には注意がいる。

だが「居場所」として依存するのはマズい

毎日のように覗き、自分の不幸を更新し続け、コミュニティの中での序列を気にし始めたら、もう赤信号だ。それは新しい職場と同じだ。新しい感情労働の現場を増やしてるだけだ。

俺たちが本当に必要としてるのは、コミュニティに所属することじゃなく、コミュニティがなくても生き延びられる自分を作ることだ。順番を間違えてはいけない。

コミュニティの代わりに、俺たちが整えるべき「装備」

じゃあコミュニティに依存しないなら、何で精神を保つのか。これは前にも書いたが、もう一度整理しておく。

ラジオやPodcastは、コミュニティの代替として優秀だ。一方的に流れてくる「他人の声」は、こちらに何の義務も発生させない。深夜ラジオのリスナーメールを聴いてると、同じような孤独を抱えてる人間が世の中に確かに存在する、と分かる。これだけでコミュニティへの飢えは、かなり満たされる。

書籍もそうだ。同じような境遇を書いた人間の本を図書館で借りる。それを読むだけで、ある種のコミュニティに参加してるのと近い感覚が得られる。しかも向こうから、何も要求してこない。

『家族という病』/下重 暁子(Amazon)
読むと、独身でいることへの罪悪感が少し溶ける

そして、リアルの「薄い接点」。前の記事でも書いた、行きつけの定食屋や床屋。あれは、ネットの濃密なコミュニティより、たぶん精神衛生にはいい。週に1回、店員と数十秒の会話をする。それで十分だ。

これらの「装備」を組み合わせれば、コミュニティに依存しなくても、孤独はある程度コントロールできる。

それでもコミュニティに参加するなら、最低限のルール

ここまで書いたが、それでもコミュニティに参加したい、という戦友はいるだろう。それを止めはしない。ただし、参加するなら最低限のルールを設けたほうがいい。

「閲覧時間を1日30分以内に決める」。タイムラインを永遠にスクロールするのは、SNSと同じ消耗を生む。

「課金は最小限にする」。有料サロンや投げ銭は、コミュニティの一部に金が流れる構造を作る。冷静に判断したほうがいい。

「リアルでは絶対に会わない、と決める」。オフ会で消耗するパターンは、過去にネットで何度も見てきた。匿名のままがちょうどいい距離だ。

このルールを守れば、コミュニティは武器になる。守れないと、新しい消耗の現場になる。

結論:俺たちにとって、それはどういう意味を持つのか

「弱者男性コミュニティ」は、使い方によっては薬にも毒にもなる。それは酒や煙草と、たぶん同じだ。完全に否定する必要はない。だが、依存し始めたら、確実に人生を削る。 俺たちが目指すべきは、「コミュニティがなくても、それなりに生き延びられる独立した個体」になることだ。

仲間を求める気持ちは分かる。だが、その仲間が見つからなかった時に崩れるような戦略は、長期的に持たない。 最終的に、俺たちは一人で死ぬ。これは統計的な事実だ。その事実から目を逸らさずに、それでも今日を生き延びる装備を一つずつ整えていく。

コミュニティはその装備の一部にはなり得るが、装備の中心にはならない。 まあ、結局そういうことだ。仲間を求める前に、まず自分が、自分の戦友になる。そこからしか、たぶん本当の連帯は始まらない。

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この記事を書いた人

kouji_kimuraのアバター kouji_kimura 限界独身サバイバー

38歳、独身。手取り22万の電話オペレーター。 27歳で「あなたとの将来が見えない」と振られたことを機に、世間並みの幸せを諦める。現在は、人生のダメージを最小化する「生存防衛線」を構築し、静かな孤独を享受している。

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