給料日まであと4日。財布の中には小銭が数枚。銀行口座を見るのも怖い。
冷蔵庫を開けてもしなびた長ネギの切れ端しかない。だけど米だけはある。米と塩だけは。今夜はそんな極限状態で俺が真剣に取り組んだ、馬鹿げた実験の話をしようと思う。
題して「白米と塩だけでどこまで多幸感を得られるか」だ。我ながら、何やってんだろうとは思う。
- 給料日前で食費が尽きたがコンビニに行く金もない
- 自炊する金も気力もないが、なんとか満腹感が欲しい
- 「貧しい食事」を惨めに感じずに乗り切る精神的なコツが知りたい
給料日前4日、財布に小銭しかない夜の話
毎月のことなんだが、給料日の1週間前くらいから雲行きが怪しくなってくる。家賃と光熱費と通信費を払うと、手元に残るのはわずかな現金とクレジットカードの請求予定額だけ。まあ、いつものことだ。
その夜も冷蔵庫を開けて、しばらく固まっていた。卵もない。納豆もない。豆腐すらない。あるのはしなびた長ネギの切れ端と、半年前に買ったマヨネーズだけだ。マヨネーズで腹は膨れない。
だけど米だけはある。先月、業務スーパーで買った5キロの米。これがまだ半分以上残っている。そして塩。塩はある。塩がない家なんてない。
その瞬間、俺はある実験を思いついた。「白米と塩だけで、どこまで人間は満足できるのか」という、誰の役にも立たない検証だ。まあ、暇つぶしみたいなもんだ。他にやることもないし。
塩むすびという、原始的すぎる食い物に向き合う
炊きたての米を茶碗によそう。湯気が立っている。ここに塩を振るだけ。それを箸でぐちゃぐちゃに混ぜて食う。それだけだ。
最初の一口。当たり前だが、米と塩の味しかしない。
だけどここで諦めちゃダメなんだ。これは実験なんだから。「いかにして精神論で美味く感じるか」という、馬鹿馬鹿しいけど真剣な検証なんだから。
二口目。今度はゆっくり噛んでみる。30回くらい。すると不思議なことに、米の甘みがじわっと出てくる。塩の塩味と米のかすかな甘み。たったこれだけの要素なのに、ちゃんと「味」として成立している。
三口目で気づいた。普段、俺たちは「味」を食ってるんじゃない。「情報」を食ってるんだ。これは高級な寿司だ、これは有名店のラーメンだ、という情報。それを食って満足している。だけど本当の意味で「米そのもの」を味わったことなんて、もう何年もなかったのかもしれない。ちょっと大げさかもしれないけど、本気でそう思った。
ハウツー|虚無飯を「ちゃんと美味い」に変える3つの工夫
ここまで読んで「だから何だ」と思うかもしれない。だから役に立ちそうな話も書いておく。
一つ目。塩は良いやつを使う。これだけは譲っちゃダメだ。米が同じなら、差が出るのは塩しかない。スーパーの食卓塩じゃなくて、天然塩を一袋買っておくだけで、塩むすびの満足度はまるで変わる。給料日前の最終兵器として、戸棚の奥に常備しておくといい。一袋買えば数ヶ月は持つから、コスパも悪くない。
二つ目。米をちゃんと炊く。研ぎ方を雑にしない。30分は浸水させる。たったこれだけで同じ米が別物になる。金がない時こそ、時間と手間という「金がかからないコスト」をかけるしかない。逆に言えば、時間だけはたっぷりあるんだから、これくらいしか勝てる要素がない。
三つ目。ぬるい味噌汁を一杯添える。味噌だけはあるだろう。お湯に味噌を溶かしただけのものでいい。具なんて要らない。これがあるだけで「塩むすびと味噌汁」という立派な定食に格上げされる。人間の認識なんてその程度のもんだ。我ながら、安い脳ミソだと思う。
虚無飯を食いながら考えた、しょうもないこと
塩むすびを噛みしめながら、ふと思ったことがある。
世の中には毎晩、外食して、SNSに「今日の晩餐」を上げて、いいねをもらって満足している人間がいる。それはそれでいい。否定するつもりはない。だけど彼らは本当に「食事」を楽しんでるんだろうか、とは思う。
俺は今、白米と塩だけを食っている。誰にも見せられないし、見せたくもない。だけど確かに今、この一口の米の甘みを、人生で一番真剣に味わっている。
これは負け惜しみだろうか。たぶん、半分はそうだ。残り半分は、本気でそう思ってる。
世間の言う「豊かさ」から完全に締め出された俺たちには、こういうしょうもない発見をする時間だけは、たっぷりある。それが救いなのか呪いなのかは、もう分からない。
俺たちにとって、虚無飯とは何か
給料日前の塩むすび。それは敗北の象徴なんかじゃない、と俺は思いたい。
これは「食事の最小単位」なんだ。これ以上削れない、生存のためのギリギリのライン。ここに立ち返ることで、普段「当たり前」だと思ってる納豆や卵や肉が、いかにありがたい贅沢品なのかが分かる。
給料日が来て、ようやくスーパーで買った卵を割って、白米にかけて食う時。そこに走る感動は、何万円もする店の料理を超えてる、と本気で思う。まあ、そう思い込まないとやってられない、ってのが本音だけど。
虚無飯は独身低所得男にとっての精神の鍛錬であり、味覚のリセットボタンだ。月に数日、自ら進んで虚無飯を食う日を作れば、給料日前の絶望もただの「予定」に変わる。「ああ、また虚無飯の日が来たな」と。
それくらい割り切れるようになれば、俺たちはたぶん、もう少し楽に生きられる。今夜も俺は塩むすびを握る。ささやかな実験の続きとして。


